大弥生時代

日本古代史応援サイト

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このWebサイトは、世に歴史(日本古代史)の魅力を発信するべく、とある歴史好きの人が運用しているWebサイトです。 古代の日本のことを知るうえで参考になると思われる様々な資料や博物館などのデータを集めています。 時代は概ね弥生時代~古墳時代前期頃までが守備範囲であり、特に人気の高い邪馬台国時代(2~3世紀頃)の資料を多めに集めています。 歴史の勉強、旅行の計画作りなど、様々な場面でご活用頂けると幸いです。 データの正確さの向上には出来る限り努めて参ります。 ご意見やご要望がございましたらTwitterまでお寄せ頂けると幸いです。 是非、今後の参考にさせて頂きます。

序文

弥生時代は日本各地で集団の統合が繰り返され、そういった地域的なまとまりは更に政治的に統合されていき、やがて数多くのクニ(勢力)が生まれました。 考古学的な知見からは、弥生時代もクライマックスを迎える2世紀末頃にもなると、戦国時代さながら各地で大きな地方勢力が割拠していた様子が窺われます。 なかでも当時特に大きな存在感を示していた地域としては、奈良、丹後、出雲、吉備、濃尾平野、北九州、熊本などが挙げられます。 まだヤマト王朝が絶対的な政治勢力としてこの国を統治していなかった時代には、そういった各地のクニグニがそれぞれ独自に思索をめぐらし、互いに外交の駆け引きや戦などを展開していたことでしょう。 そのような時代の流れのなかで、きっと様々な熱い人間ドラマも繰り広げられていたであろうと想像できます。 現に『魏志倭人伝』には、2世紀後半頃の日本では各地のクニグニが長年にわたって互いに戦にあけくれ、争っていた様子が記されています。いわゆる「倭国大乱」ですね。 その倭国大乱の時期にあたる弥生時代後期後葉~弥生時代終末期は、謂わば日本史上におけるもう一つの戦国時代のような時代だったのかもしれません。 そんな長年に亘る争乱も、各国が卑弥呼という一人の女性を共通の王として共立することで収束したというのですから、やはり卑弥呼という人物はただものではなかったのでしょう。

数百年もの時間をかけて独自に発展してきた弥生のクニグニが、邪馬台国および女王・卑弥呼を中心とする連合のもとにまとまり、倭(後の日本)が統一国家としての第一歩を踏み出した時代。そんな邪馬台国時代はまさしく激動の時代であり、日本の黎明期と呼ぶにふさわしい。 邪馬台国と後のヤマト王朝との関係は不明ですが、いずれにせよ、この日本列島のクニグニをまとめあげ、朧気ながらも初めて統一国家としての輪郭を整えたのは邪馬台国および女王・卑弥呼であったと考えてほぼ間違いないでしょう。 『魏志倭人伝』以外に当時のことを伝える史料はほとんど残っていませんが、そのような激動の時代に熱い人間ドラマがなかったはずがありません。

又、当時の人々は霊魂や神々が実在することを前提として祭祀を行い、そういった祭祀の結果をクニの政治の舵取りにまで大真面目に反映させていたようです。 当時の人々が目には見えない存在の力や呪術的な力をいかに重視していたかは、鬼道を得意としていた卑弥呼が上手くクニを統治していたという魏志倭人伝の記述からも窺えますし、考古学的な調査で発見されている当時の祭祀遺跡や祭器などはその物証であるといえます。 更に、『古事記』『日本書紀』では、登場人物たちが祭祀や呪術を駆使する場面が多数記されています。 無論、そういった記紀の記述はそのまま歴史の真実とみなすことはできませんが、古代の人々の神観念や宗教観といったものは窺い知ることができます。 祭祀や呪術を執り行い、時には様々な霊魂や神々たちの力をも借りてクニを治めようとしていた古代日本の社会は、現代の私たちの感覚とはあまりにもかけ離れ過ぎており、まるでSFやファンタジーの世界のようにも感じられます。 しかし、そういったファンタスティック且つミステリアスなところがまた、あの時代の魅力であるように思えるのです。

ちなみに、現代の日本には数多くの神社が存在していますが、由緒が古過ぎて正確な創祀時期が不鮮明となっている神社のなかには、弥生時代から人々が祈りを捧げてきた祭祀場がそのまま神社になっているというケースも少なくはないと思われます。 現に、古い神社の境内や神聖な神奈備山(神様がおられる山)などから、弥生時代の首長墓や、神々への奉納品と思しき青銅器が発見されるといった事例が多々存在しています。 そういった考古資料からは、弥生人たちの聖地と現代の神社との繋がりを垣間見ることができます。 無論、そのような土地であっても、弥生時代から今日の神社で見られるような社殿が存在していたわけではありません。人々が祈りを捧げる地に社殿が建造され「神社」としての形式が整えられ始めたのは飛鳥時代頃からであり、それ以前の弥生時代や古墳時代には野外で祭祀を執り行っていたというのが定説です。 しかし、祈りを捧げる場所自体は昔も今も変わっていないというケースがほとんどでしょう。遙か昔に弥生人たちが祈りを捧げていた野外の祭祀場が、時代が下るにつれて「神社」という形式へと変化し、現代でも多くの参拝者から篤く信仰されていたりします。そんな様子を見ていると、弥生時代から連綿と続く日本人の「祈りの系譜」を覗いているような気がしてきます。 かつて弥生人たちが祈りを捧げていたであろう土地に鎮座する現代の神社に立ち、心静かに祈りを捧げていると、遙か昔の人々と気持ちを一つに共有できたような気もしてきます。

話を神社から邪馬台国に戻しましょう。すなわち、邪馬台国の時代というのは、戦国時代のような熱い人間ドラマと神々との交流というファンタスティックな一面を馳せ持つ、非常におもしろい魅力に溢れた時代だったのではないでしょうか。 あくまでも一般的な話ではありますが、世間では邪馬台国の所在地論争や卑弥呼の人物像などについて強い興味関心を示している方々が多いように見受けられます。世間では、邪馬台国の所在地は日本史上最大の謎とも云われておりますので、それも無理からぬことでしょう。 そういったトピックに興味関心を抱くこと自体が知的好奇心の発露ですので、非常に尊い営みです。ですが、もしあなたがそういったトピックだけに興味関心を抱いているならば、それは非常に勿体ないことです。 邪馬台国の場所について思索を巡らすことも楽しいですが、そこから更に一歩踏み込んで、邪馬台国だけではなく同時期に隆盛していた各地のクニグニならびに当時の古代社会に思いを巡らせてみるのも楽しいものです。 まだ前方後円墳の墓制に象徴されるようなヤマト王権による画一的な全国統治が始まる以前の日本列島では、各地のクニグニが祭祀や墓制の形態・土器様式などにおいて実に多彩な個性を放っていました。そういったクニグニの個性を鑑賞することも実に味わい深いものですよ。 このWebページでは、その「邪馬台国時代の日本」について知るうえで有効な資料を多数紹介しています。是非、各地の様々な考古資料や神社伝承などを見聞し、そこから浮かび上がる当時のクニグニの交流関係、政治情勢、人々の営み、人々の心情、精神世界などに思いを馳せ、歴史をお楽しみください。

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